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長老を中心とする大家族主義は人間の理想だったのではないか?

 24日午後1時ごろ、ビサヤ地方セブ州ラプラプ市内のホテル客室で、宿泊中の日本人男性(71)=本籍・東京都=と日本人女性(83)=同=の夫婦の遺体が見つかった。国家警察ラプラプ署は、遺体の状況や遺書があることから2人が覚悟の心中を図ったとみている。

2月26日(金)晴れ 朝7時00気温24℃


今朝7時のパラス
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 このニュースを見た時、ショックでしたね、これが世界一長寿国日本の姿だったのでしょうか、私は、故国日本を去った男ですので、国の有るべき姿など物申せる立場ではない事は承知しています。しかい今後の日本を考えた時、一抹の不安を抱いたのです。この方達が高度成長期を支えた戦士達でしたら尚更です。深川七郎さんの楢山節考の姥捨て山を連想致しました。そして私が置かれた生活環境、長老の支配する大家族が今まで追い求めてきた理想郷だったのかも知れません。日本時代、財産分与をしたた為、趣味の民謡の世界から離脱させられ、一人老人ホームで一生を終えた仲間もおりました。私は未だ動ける内にこの国に移住出来て幸せでした。


 同署の調べでは、男性はポロシャツにズボン姿で、宿泊した4階客室内トイレのドアに麻ひもをかけ、首をつった状態で死亡していた。トイレには踏み台に使ったとみられるいすが見つかった。

 女性はグリーンのワンピース姿でベッド上にあお向け、胸の上で両手を組み、右腕に数珠を掛けていた。首には絞められた跡があった。

 同署は男性が麻ひもを使って女性の首を絞めた後、自身はトイレで自殺したとみている。

 遺体の硬直状況から、死後7~8時間経過とみられる。


邦人夫婦心中 [2010.2.25のマニラ新聞から

セブ州ラプラプ市内のホテルで日本人老夫婦が心中か。部屋には遺書も発見

邦人夫婦が心中を図ったセブ州内のホテル

 24日午後1時ごろ、ビサヤ地方セブ州ラプラプ市内のホテル客室で、宿泊中の日本人男性(71)=本籍・東京都=と日本人女性(83)=同=の夫婦の遺体が見つかった。国家警察ラプラプ署は、遺体の状況や遺書があることから2人が覚悟の心中を図ったとみている。 [ 詳細 ]

 ベッド付近のテーブルには遺書が置いてあった。「みなさま方へ」で始まり、「妻が脳梗塞(こうそく)で倒れ、『早く楽になりたい』と常々漏らしており、2人相談の上、いっしょに人生のピリオドを打つことにしました」と書かれていた。日付は「2010年2月」。夫婦の氏名も記載されていた。

 2人は22日にチェックイン。24日正午にチェックアウトする予定だった。ホテル側は時間になって部屋に電話を入れたが、誰も電話に出なかったため従業員が合い鍵を使って部屋に入り、2人の遺体を発見したという。

 部屋には女性が使っていた車いす、2人の旅券、財布、携帯電話、かばんなどが残されていた。

 ホテルへの宿泊費などは23日夜までに全額支払いを済ませていたという。23日夜にはホテルのバーで2人の姿が目撃されている。ホテル従業員の話では、心中する気配など見られなかったという。

 男性の知人によると、男性は比に約9年滞在、退職者ビザを取得していた。ホテルに宿泊する前は、セブ市内のアパートに2人で住んでいた。

 男性は特に問題を抱えたような様子はなかったが、最近になって知人の日本人たちに蔵書などを配っていたという。


[ 2010年2月25日のマニラ新聞 ]

 この日のニュースも
比日米豪4カ国関係者が尽力し、旧日本陸軍操縦士の遺骨収集が68年ぶりにと、日本人観光客がエルミタで、韓国人にかばんを奪われたとありましたが、この邦人の自殺事件が頭をよぎります。セブは思い出の場所だったのでしょうか、

昨日もタガイタイでは葬儀の博打サボンに狂じる村人達が、

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嫌なニュースですね

ダニエルさん こんにちは

悲しくなってくるニュースですね。
老々介護のなれの果てと言う気がします。

日本に戻って介護病院に入れなかったのでしょうか?
気が重くなります。

Andy

「う~ん」

ダニエルさん、こんにちは。

ブログを拝読して、長い溜息をついてしまいました。
昨年、4年以上の闘病をしいられた母が、84年の生涯を閉じました。80歳で脳内出血で倒れ、かろうじて右手が動くだけの状態で、最高度の重度障害と認定されました。介護の困難さ、経済負担、行政の貧困はおいて、「生きる」ということを考えますと、私の母はは、「働かざる者、食うべからず」という意識が沁み付いていました。自分が老い、経済力、労働力として家庭に貢献できなくなったことを自覚すると、「家族に負担をかけたくない。世話になりたくない。ポックリ死にたい」と真剣に考えていたようでした。その願いもむなしく、母は4年以上の闘病生活を送った訳で、さぞ無念で不本意であったと思います。
母は倒れてから逝くまでの4年以上の間、たったの一度も「要求」をしなかったのです。喉の渇き、空腹、暑さ、寒さ、痛さ、かゆさ・・・、いっさい言いませんでした。私がオムツを替えるとき、やっと動く右腕で、私の腕をつかみ、母は何度か涙を流した事がありました。命の大切さは承知していますが、母は死なせてやったほうが幸せだろうな、と思わざるを得ませんでした。ですから、亡くなったときは「楽になって良かったね、母ちゃん」と心から思いました。
これは私の母の事であって、今回の事件の女性のことを「よかったね」と思っている訳ではありません。
生命の尊さと尊厳死、未だ私のなかでくすぶる問題です。

ANDYさん・お早う御座います。

Andyさん・PC調子悪し、コメント入れたのに反映されません申し訳御座いません。無い頭でいろいろかんがえているのですが、

 このニュースを聞いた時、かなしくなりましたね、問題が自殺した本人達でなく、日本中で抱える共通の問題のように感じたのです。にほんでは介護士看護士が不足して、インドネシアフィリピンにも門戸を広げているような報道ですが、フィリピンに人達も日本にはいきたがっていないようすです。何年か先の日本語による難関の日本語試験にもパスしなければ国外退去処分になるからです。そしてそれが英語圏のカナダで有れば何年か後には永住権も取れる事をみんなしっております。もしくは、オーストラルアへに移住も選択肢の一つのようです。本音と建前の日本、アジアの嫌われ者にならなければよいのですが、これから高齢化社会を向かれる日本の進む道は多難ですね、

yuさん・お早う御座います。

 PCが調子悪く思ったような投稿が出来ません。遅くなりもうしわけございませんでした。

 yusaにお所もたいへんでしたね、。思い起こさせてしまいごめんなさい。

 これから日本中が抱える大問題ですね、でもニュース報道があまりにもかなしすぎましたので、人事ではありませんでした。私の父親も若い時から寝たきりになり、まわりにめんどうみていただきながらの一生でした。母親も老後ねたきりのせいかつになりました。これから高齢化社会をむかえた日本が抱えた大問題、難問ですね、

 yuサンのお母さんのように、私の母親もじぶんの望みはみんな子供の為にためのに我慢した生活でした。ところがフィリピンの親は全く逆なのです。じぶんが介護をうけるのは当たり前、子供の事など思っていません、物事は常にじぶんちゅうしんなのです。そしてこどもたちは追うあの幸せが自分の幸せだと思って生活しています。どちらがよいのでしょうか、

人のふりみて。

こんにちは、ダニエルさん。

身近な人が亡くなると、自らの死を思います。殆どの人が死に方を選べません。母ではありませんが、私もポックリ逝きたいと思いますが、どうなるか判りません。私は母のようになったら、「水をのませて」くらいは言うつもりです。介護する側にとって、介護される側が、そうした要求を全くしないことは、逆に辛いことだと教えてもらいましたから。
体が動かせず、寝たままになりますと、筋力がなくなり、骨と皮だけになります。母は痴呆がすすみ、最後には、一人息子の私さえ認識できなくなりました。
医者に「延命処置」の意思確認をされましたが、私はキッパリ断りました。母は自慢の一人息子の選択を「正しいよ、有難う」と言ってくれていると思っています。
母が倒れてから、色々と家族で話し合いました。もし私が母のようになった場合、家族は私の希望を叶えてくれると思います。有り難い事だと思っています。

フィリピンと日本では、医療かんけいの事情が違いますから、
母のような事になったら、多くの人は介護ではなく、お葬式になるのではないですか。
介護される人がうるさいうちは、まだまだ元気な証拠だと思います。だとすれば、介護する側も巻けずに「ちょっと待っててよ」と丁々発止でやりあえばいいと思います。
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タガイタイ.ダニエル

Author:タガイタイ.ダニエル
 
 私は35年前、妻と結婚、東京で暮らして来ましたが、還暦を期に4年前、妻の故郷フィリピン国タガイタイに移住して来ました。
 
 タガイタイ市、はフィリピン国カビテ州のはずれに存在し、タール火山の外輪山上に形成され、標高500~700Mの高地です。
 その為、南国フィリピンにしては比較的涼しく、夜間は寒さにふるえる事も有ります。

 首都圏マニラより約60KMと近い為か、大物政治家、実業家、著名人の別荘が目に付きます。

 タガイタイの主な産業は、昔からのコーヒー栽培とパイナップルを代表とするフルーツ栽培です。
 観光を目的にする為か、豚の飼育、悪臭を放つ養鶏、ゴミの焼却も市条例により、禁止されています。

 我が家からはマルコス元大統領がアメリカ国レーガン元大統領と会談する為、迎賓館を作ろうと着工されましたが工事半ばにして、エドゥサ政変により失脚、未完成のまま放置されたパラス.インザスカイの山が見えます。
 
 現在タガイタイ市の管理の下に一般に公開されています。
 
 ここに登りますと、タール湖に浮かぶタール火山、Mt.マキリン(1130mラグナ州)、 Mt.バナハウ(2077mケソン州)、 Mt.マコロット(バタンガス州)、フィリピン一広いラグナ湖、マニラ首都圏まで一望出来ます。


 また徒歩圏内には、タール湖に浮かぶタール火山を眺めるビューポイント、 ピクニック.グローブ.コンプレックスもあります。
 
 

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